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執筆者の写真月吉野 若林醸造

先祖代々、脈々と。

三連休、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私は先週末に胃腸炎となり、娘も夏風邪を引き、せっかくの休みにどこへも行けずにいます。


さて、実は来週地元の公民館にて、講演会の依頼をされております。

講演するほどの実績や内容がないので、これを良い機会に、日本酒造りや自社の宣伝をしてこようと思っております!

その講演資料を作っている最中に、昔の写真をいくつか見つけました。



若林醸造の創業は明治29年(1896年)で、現在の社長は4代目となります。

こちらが、創業当時に取得した酒造免許です。

創業者は「若林万兵衛(まんべえ)」といい、3代目までその名を襲名していました。



こちらは、門の前で撮影された写真です。

日本酒をどこかに運ぶために、樽を車に積んでいます。

上に2つ乗っている菰樽(こもだる)は4斗樽で、72Lの酒が入っています。




こちらは、若林醸造を西側から見た外観です。

蔵や母屋は当時のままで、右側の長屋は移設して現在の事務所の建物になっています。

当時使っていた木樽が、並べて干してあります。

その近くで、蔵人達が一息ついている様子が見えます。




こちらは、長野県酒造組合から頂いた、講習会の受講証です。

明治43年(1910年)とあるので、初代の名前だと思われます。

講師の所属を見るに、酒造技術の向上を学ぶ講習会のようです。




こちらは試験醸造記念とありますので、若林醸造で何か酒を造ったのでしょうか。

大正9年(1920年)の写真で、真ん中に2代目の社長(子供を抱いている人)と名古屋税務署の方がおり、左から2番目の男の子が3代目だそうです。

みんな服装がカッコいい!!顔つきも凛々しいです。




時が進み、昭和30~40年頃(1955~1965年)の写真です。

3代目の若林万兵衛さんです。(私の祖母の兄)

仕込みの最中に蔵へ行き、撮影したのでしょうか。後ろで蔵人が甑(こしき)から米を掘り、放冷機に投入しています。

もし私だったら、「忙しいから手伝ってよ!」と言いたくなります。

当時は経営と製造は完全に分けられており、経営者は造りに関与していなかったそうです。




こちらは、当時の杜氏さんです。

越後杜氏で、酒造期である冬に新潟から来て酒を造っていました。大塚さんと言います。

右側に蒸気を作るボイラー、左のタンクはお湯を貯めておく為のものだと思われます。




こうして昔の写真を見ると、小さい酒蔵ですが先祖代々、脈々と続いてきたんだなぁと感じます。

今の様子をご先祖様たちが見たら、どんな風に思うのでしょうか。

私から言いたいことは、山ほどありますが(笑)




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